S.Yの深いブログ

日常生活の中で感じたことをそのまま吐き出します!

僕にはおばあちゃんがいない。

どーも、こんばんは。突然のことで申し訳ないのだが、僕にはおばあちゃんがいない。

確か、記憶が一致していればだが、僕にとっての最後のおばあちゃんは高校二年生の秋だと思う。

忘れもしない夜22時頃のこと。

 

母を除いた親子三人で自宅の居間でゆっくりとTVを見ながらくつろいでいた時に、その急報はやって来た。

 

母「○○だけど、さっき亡くなったよ。」と。

その言葉を聞いた僕は何とも言えない気持ちになった。

 

そういえばあまり話できなかった。

もっと愛想良くしてればよかったな。

正直、お年玉ももっとたくさんもらいたかったし。

など、「後悔」を連想させるような言葉が頭に浮かんでいた。

 

真面目な話、僕には祖父母という概念があまりピンと来ないのだ。父方の方は、3歳までに全て亡くしており、最後のおばあちゃんもあまり会わないまま、17歳で亡くしている。

 

なので、よくある話の帰省or正月になったらお年玉をもらうというイベントをほとんど経験できなかった。

だからだろうか。

 

最近、働いている職場でこんなことを言われた。

「しゅうちゃんさ、年配の方には明るいよね。」と。

僕はこのイミを考えてみた。

 

つまり僕は、ほとんど接することができなかった"祖父母"に近い人、年配の人に対して無意識に甘えたがっているのではないか。

 

このことは年上の人の方が話しやすいということにもつながっているのかも知れない。

 

年下に教えるというイベントもまともに経験してきていない。

というか、自分から意図的に避けてきた節もあるのだ。なぜだろう。

 

プライドが高いのかも知れない。

過去の失敗が尾を引いてるのかもしれない。

理由は未だにはっきりとしていないが、

恐らく何か!とも今の段階では言うことができない。

 

この問題の答えは当分は先になるだろう。

 

はっきりとこうだ!!とか、

絶対○○!!と言いきれる人間になる日はいつ

来るのだろうか。

 

早く来てほしいと思っているが、

正直死ぬその瞬間までまだ訪れないでほしいとどこかで思っている自分もまたいる。

 

こういう具合に。あれこれと悩み、

考えている自分に酔っているとでも言えばいいのか。 とことん不器用な人間だなと思う。 

 

けれど、

その"不器用さ"にかまけて自分に甘えたくない、とも同時に思う。

 

器用に生きることは無理かもしれないけど、

不器用なりの器用な生き方をこれからも、

模索していきます。

 

 

僕と同じような立場にある人、

 

負けないようにいきましょ!!

自分でも分からないオーラ。

いい人といい感じの人って微妙に種別できるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。

 

いい人は人の為に良い。というイミでいい人

だと思うんです。スタバの店員さんはいい感じの人に見られがちです。

人が良い人が多い場所、ということになれば、なんでもない人でも3割増しでイイ人に

なれることが分かってきた気がしてます。

 

そんな全くの他人から見たイメージと、

仲間内のイメージにはギャップがあるらしい

と僕の研究結果から分かりました。

何も研究してないけど。

 

お客さんから見るといい感じの人、仲間内

ではただのいい人になっちゃうの、どうにかしたいなあーと思って、いろいろと試してみました。

まずやったのが笑わない人。笑うぐらいなら、スルーしようと気張ってみたことがあります。

 

笑うからナメられてるんだと完全に思いこんでいたんです。なので、

真顔を維持しようとしたんですけど心に余裕が持てずムリでした。

 

 

顔だけでなく心も凝り固まってしまうようなそんな不器用人間だと自覚がはっきりと体感したし、なぜか、距離を置かれることがめちゃめちゃあるしで、イミが分からなくなりました。

 

普通に生きてたらダメなんだとはっきり自覚した瞬間です。

マジでクソだなと思ってます、今も。(笑)。

 

この経験から僕は、笑う時は笑えばいいし、

つまらん時は、つまらん顔をしててもいいんやで!!と思えるようになり、

 

新境地へ一歩踏み出すことが叶いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

大人のデートの新定番は、な、なんと、サイゼリヤ!!?

ファミレスで見るカップルと言えば、もちろん高校生達だ。

と言うと、多くの人は納得してもらえるはずだろう。

僕からしたら羨ましい限りであるのだが。

実の所、男子校出身である僕は、

 

人生の中で最も多感で最も性欲が溢れるシーズンに経験しとくべきことを経験できなかった。

 

これは、大きなハンディキャップを背負ったと言えないか。

クラウチング・スタートで皆がスタートする時に使うあのカッコいい器具、そう、

スタンディングブロックである。

 

この圧倒的器具を使わずして勝ち残ることは できない。

位置について、、、。まず位置につけないからである。あのボルトモスタンディングブロックを使わないと、勝てない(根拠は0です。)

ぐらい強大な力を持っているのだから、

やはり平等に与えれるべき『対象』は

絶対あるのだ。

 

僕にとってはその『対象』こそ、16~18歳頃の性に真剣に向き合う季節なのだ。

 

特に男にとってはこの三年間をどう過ごすかによって死ぬまでの恋愛遍歴が決定すると 言ってもおかしくない。

 

現に共学で都内の芸能系高校に通っていた僕の弟です。

彼女三人、常に遊べる女友達をキープしているのである。

まあ、スペックは確かに高い。180㎝超え

足長、小顔、マイカー持ちで経済力があるこもしっかりとアピールできている。

 

よくしゃべるし、性格を割りと明るく、

あまりウジウジしない人種である。

素直でモテるし好かれやすく、実際に

良い奴なのだ。

 

現実を見てみて、このような民族がひしめく社会で僕のような男はいかにして、

勝負していくのか。

 

現在、断言できるポイントは"無理をしない"

ことぐらいしか、ただし、

性欲と向き合うことを避けていては、何を

していても気持ち悪い心になってしまうと

僕は感じています。

 

 

僕の頭の中は、筋トレと読書で構成されてます。

どーも。最近僕は「自分」という存在について考えています。

 

自分とは何なのか。どこに向かうべきなのか。こんな感じのことをよく考えている。

 

とにかく本を読んでいる。

 

ひたすら、読んでいる。

コーヒーを飲みながら本をひたすらよんで

いる。本当にそれの毎日だ。

 

当然、お金は発生しない。

バイクで30分の時間だけが必要なのだ。

 

往復で1時間程か。

 

これしかやることがないと言えばそうだし、

これをやっていたいと言えば、やっていたい のだ。

意味あるものしかやってはダメだ!と

言われる人も多いことだろう。

 

ここで、

僕が最近気づいたことを発表します。ウソです。何も気づけてません。

ウソをつきたくなったのでウソをつきました。ごめんなさい。  

 

ごめんなさい。これもウソです。ウソをついたことに対して、謝ります。

さすがにこれは、本当ですよ。

 

筋トレで心を鍛えて本読みで頭を柔らかくするように意識しています。でも、

現実逃避になっちゃってるんだろうな~。

まあ、「現実変化」させるために今、こんなことをしているんだと思えば、

 

全てオッケーってとこですかね。

 

 

行動したくなった時に行動する!!

水玉模様は女性のイメージがある。なぜなのか。きっと、どうしようもない不安があるのだろう。男たるものやっぱり無地だったり、ストライプ柄のシャツを着てこそ、様になるみたいなざっくとしたスライムだ。

 

女性的だとか女々しさというのは、一種の武器なのではないかと思うことがよくある。

世の男にあまりいない感性みたいな、オーラというか。

 

いつか自分のことを分かってくれるような人がきっと見つかってくれるんじゃないかと期待しているのだ。

もちろん甘ちゃんな考えであることは分かっているのだが。そのいつか、出会える人に出会うまでに必要なこと・モノ・考え方はなんなのか、何がどれくらいあれば十分なのか、全く不明である。

 

その不明な典を解明するために、

あがいている。そんな感じだ。

 

ただこれは、多くの人に共通していることかもしれないが、端から見たら「何もしていない。」だけの可能性も大いにあることだ。

 

ただ、自己満ブログを更新しているだけ。

スタバで本を読んでいるだけ。

ジムで筋トレをしているだけ、など。。。

 

「それ、本当にやっているイミあるの??」と責められてもしょうがないことが確かに多いのだ。ある本の中には、自己肯定感を強く持つことが一歩目であると表現しているものがほんとうに多い。

 

本を見て自分なりに考えて行動したものが

周りから見たら全然、行動しているように

見えていない。

 

これほどの苦しみは他にどこにあるのだろうか。いや、ないだろう。

この苦しみが晴れたころには、40歳の親父になっていて、独身のアパート暮らしになってしまっていることが怖い。

 

個性とかシンボルマークとかを求めているがアホらしい。

けれど求めてしまっている自分がそこにはいる。

 

例えば、女の子に平気で「お前、バカかよ。笑」と言ってみたり、1回目のデートから

2回目のデートにつながらない理由は

何だったのか確かめるために「次、どこ

行く?」とデートの出来映えを確認する行為

だったり。

 

なぜ、「いい人」とか「優しい。」の

もてない男子達のフレーズを連発されるのか。男気を出そうとすると、ただの冷たい人 、よく分からない人、キモい人に成り下がってしまうのか。

 

丁度良いよりちょっとだけ良い人にどうやったらアガれるのか。

何か良い案を持っている人がいたら教えて

ください。。。

無駄なことこそ、きっと大事なことが隠されている、ハズ。。

日記を書くぐらいだったら、ブログを読むべき。だとか、今時手書きなんかイミないよ、

だとか知らんがなって感じですよね。(笑)。

 

オレがやりたいからやるんだわって。

まずはやりたいことをやっていく中で、

徐々に形が見えてきて、工夫し始めて、

伸びていく。

と思い込んでいるけどたぶんちがうんだろな~。

 

「守・破・離」と言われるように何事も最初はまず型を覚えて、忠実に実行し、段々と自分のカラーを出していく。

 

て、本当にソレ合ってるんか???

 

自己流から進んでいって、失敗しながら、

お手本を見ていくやり方もありではないでしょうか。

でもここに問題がある。

 

自己流で進んでいって案の定失敗すると、究極に自信を失うのだ。

得るものも何もない。

 

そうなると行動が怖くなる。

結果、何もしたくなるという負のループに

迷いこんでしまうのです。  

 

何もしたくない状態から、何かしようとし、

実際に何かをしたくなる。

 

でも、計画を立てなかったり途中でどうでもよく感じてしまうから、結局どうでも良いとなってしまうのだ。

 

そこで僕は、対策を考えてみました。

 

①やっぱり、守・破・離を守り、まずは

できる人のやってることをそのまんまマネする。

②もう、人生どーでも良いと思いこんで、なりふりかまわず、行動していく。

③自分の頭の中には何もないことをはっきりと自覚し、他人の知恵・言葉を自分が気に入った分だけ、取り入れる。

 

とりあえず、③が1番良い気がしている。

でも、この考えに満足することはたぶん一生ないだろう。

 

あー、まずは、最低限動くための資金集めだなー。

キラキラしている人とキラキラしていない人。

ありきたりのことを言うと、僕はキラキラしていない部類に入る人だ。

4人以上の会話になった瞬間に「会話スイッチ」が落ちるし、興味が無くなる。

 

自分の頭の中で用事をつくり、さりげなくフェードアウトしていく現象、通称「ドタキャン」が行われるのだ。

 

この場合だと、人と会話することを拒否して、自らの保身を大事にすることで、心の安寧を取り戻そうと必死。

なぜ、このような行動を取るのかは全くもって不明だが、きっと自分が可愛いのだろう。

 

会話しなくてもいいと思っているその自分の心のことだ。

あとは、ナメられたくないと思っていることだろうか。

 

バカにされる、イジメられる、周りから省かれるといった行動に対して、異常な恐怖心があるから。

 

こういった経験をしていると、キラキラしている人に対して強い反発心を抱くようになる。

もしかしたらその人も昔は、スリにあったり、ボコられたり、イジメを受けていたのかもしれないのだ。

 

つまり、キラキラというフレーズの裏には

「主役」という響きが隠されているのではないかと考えています。

 

主役に立つべき人間=常に話題の中心にいて、人気もあり、友達も多くて、何でもデキちゃう種族。

この法則に基づいていると考えたのですが、どうでしょうか。。

 

キラキラしている人間には、キラキラしていない人間の辛さなどは分からないかも知れませんが、分かってほしい思いもあります。

 

もしくは、ちょうど良いキラキラさというのは、どんなもんなのか、法律として定めてほしいと思うんですが。

 

例えば、「インスタグラムに楽しそうな写真をあげる時は、なぜ、写真をアップしたのか、その理由を述べよ。」、みたいなこととか。

 

てか、こんなこと考えてる時点でもう、

キラキラ系の人種から見たら、

 

イケてなく、なんか陰気くさくてマジメ‼ってレッテルを貼られる人でしょうね。

 

 

あー、なんかもう、イヤになっちゃう。(笑)。

 

せめて、このブログのタイトルだけでも、

リア充っぽくさせようかしら。