猫から学んだ人生との向き合い方。
どもー、こんばんはー。。
しゅーへいです。
本日福岡から埼玉へ帰郷しました。
5泊6日という比較的ゆったりとしたスケジュールだったんですが、感じたことや刺激を受けたことがあったのでここでシェアしていきたいと思います。
☆猫の習性から見て学んだ人生の考え方☆
みなさんご存知の猫さん。
勝手気ままに過ごしているだけなんじゃないかと思っていたのですが、どうも違うみたいです……………。
それぞれが落ち着く場所を持ち、
おおよそ同じ時間に同じ行動を行うことで、
毎日を過ごしているみたいです。
(三毛猫ホームズもびっくりの甘えっプリですね。。。僕もたまにはこうやって甘えたーーーい。)
………………………。
………………………。
………………………。
はい、
完全に調子に乗りましたね。(笑)。
猫をよーーーく、
目ん玉をひんむいて
観察してみると、ある法則に乗っ取って
日々を生きていることが分かりました。
それは、、、、、、、
「状況と感情を結びつけている」という
一見当たり前にも思えるようなことです。
例えばこれ。。。。。。。
僕の左手の上で安らかに眠っています。
実に気持ち良さそうですよね。
このときの猫の感情は恐らく、
「ご主人様のお手ての上はめちゃ気持ち良いニャン!」って感じなのでしょう。。。
たまたま手のひらの上で猫ちゃんの
気持ちよいニャンが炸裂してしまった為に、
僕は5日間、左手の上を自由に動かすことが
できなくなってしまいました。笑
(実はウソなので、
絶対に信じないでくださいね。)
でも猫ちゃんは、
この姿勢をとればこの人は気持ちよくさせてくれるのかも?と思わせることに成功したわけですね。
それによって猫ちゃんは毎回このような
姿勢を取ってくれるようになりました。。。
ほのぼのとした空気感に包まれていて
とても心地よい感じが出ていますね!!!
フォトジェニック映えしそうな良い
写真です。
(たぶんあげないけど。)
このことから分かること。
自分が今やっていることをちょうどよい
感じや時間まで行えれば、
とりあえずは、
いい感じになれるってことです。
これはもう、最高にハッピーな状態ですねー!!
それでは。
とりあえず更新。後に修正していこう。。
確かな手応えを感じ初めています。
最近よく思うことなんですが、
アウトプット=インプットのバランスって
めちゃめちゃ大事だよな~って。
僕自身も気を付けていることなんですが、
知識を溜めすぎないようにしています。
あなたも自分の興味のある分野・特技など、
もっと探求したい・もっと極めたい!と
思ったことはありませんか??
あれも知りたい、これも知りたいと欲求が
台風後の濁流のように押し寄せるあの感じ
です(笑)
あれもやりたい、これもやりたいと
欲張りすぎてとにかくノウハウやテクニックを覚えまくる。
僕の場合であれば、恋愛がそうです。
いつまでもモテない自分から、ヤリチン
レベルでモテる男になりたい!!
そのためには失敗しなくてはならないな~と
最近はひしひしと感じています。
例えば僕は人を褒めるのがすごく苦手です。
どうしても、恥ずかしくなってしまい正直に
褒められないことが、コンプレックスです。
でも、いつまでもそれではいかんよな、と。
誉めるときはしっかりと相手のことを
誉めてあげる。
このような当たり前のことを確実に、
しっかりと行っていきましょう!!
そうすれば、きっと、
良い未来が見えてくるはずですよ!!
オレンジデイズによる仕事論。
どーも、こんばんは。皆さんはオレンジデイズという日本のドラマを知っていますか?
僕はこのドラマをAmazonプライムで初めて見ました。最初は何の情報もない状態で、見ようと試みていたんですけど、丸々根底から覆されてしまったんですね。
何が良いって、男子役の俳優陣が面白すぎるってこと。妻夫木君、成宮くん、瑛太くんと3人並べたら世の女性は絶対に誰かを選ぶであろうと僕は思っているのですが、どうでしょうか。まぁ、そんなことはどうでも良いんですけど、三者三様の生き方が描かれていて良かった。
妻夫木くんはもう、正統派なイイ男って感じの、言動をとりまくるんです。しかもちょっとした遊び心があるし。
柴咲コウさんが演じる女の子が難聴に苦しんでいて、つい人に対してきつく当たってしまうところがあるんですが、何度きつく当たられても、時には心が折れながらも、耳が聴こえない彼女の耳代わりとなって、常に助け、決して体目当てではない、
純粋な態度をとっているのを見て、
素直に良いなーと思いました。
下心とか絶対あるでしょ!!って思ったりしちゃいましたね。
成宮君は一言で言うと、ヤリ○ン野郎です。(笑)。
甘いルックスを武器に何人もの女とヤり、
金をもらって生計を立てているような男なんですけど、もしかしたら、
誰よりも"愛"に満ち溢れているのかもしれないって思ったんです。
幼いころに母に捨てられ、妹と二人で質素なアパートで暮らす生活と「真っ当な社会人になるのにビビってんだよね、オレ。」と
(多少の差異はすみません。)いうセリフの本意を考えた時に、もしかしたら、
俗に言う"はみ出し者"ってレッテルを貼られる人種なのかもなーって感じたんです。
大学には一応行くけど、女と遊びまくり、
金をもらい、カメラアシスタントとして決して高くない給料を稼ぎながら、
家族の飯代を担っている。
その姿に心を打たれました。
必死に時代に抗いながら、
でも現実から逃げず、
自分のやりたいことは何なのか、を
考えながら行動していく姿こそ、
男の中の男だと思うんですよね。
これはめちゃめちゃ苦しい作業ですよ。と
信じています。
誰よりも甘ちゃんでいたからこそ、
"平凡"に対して強い対抗心があるのだと思います。
現実、事実を直視し、
自分とは何なのかを探し続ける、
そんな迷宮はいい加減、
終わりにしていきたいと思いますね。
ある意味開き直るってどういうことなのか。
全てを投げ出してしまった。
少しでも名が通っている企業や大手。
周りの人から「へえー、いい所だねー。」と
言われるような企業や場所のことだ。
実は今、僕が行ってみたいと思う朝礼台は
"地方"にある。
都会ではなく、地方なのだ。
特に四国に対して強い思い入れがあり、
訪れてみたい気持ちが出てきている。
こ思いは、もはや"開き直り"に近いのかも知れない。イイ意味なのか悪い意味なのかはどこまでも不明だ。
一般的には、"開き直る"という言葉は、
悪い意味で使われることが多いように思う。
勉強がもう面倒くさいんで、いい加減にやってやろう!とか、
これ以上自分のことを理解してもらえないのだったら、もうこっちから切ってやるわ!!など。
実はこれ、全部僕のことだ。(笑)。
顕著な例を挙げると、
人見知り盾にして人と会話することを避けていく行動である。というか今もその行動を取ってしまうことがまぁ、よくあるのだ。
これは良くない。
というか、人見知りの人と言うのは、
自意識過剰である人がなる現象だと思っている。自分と相手の言動に対してネガティブに捉えがちなのであり、流れが読めていないのだ。
流れとは、間や空気、息づかいのことである。と勝手に想像している。
できていないくせに。(笑)。
でも、そういうものだと信じている。
自分に対して意識が向きすぎているために、
相手にフォーカスしきれていないのだと思うな。人を見ていないから知ることができない。
文字通り、人見知りなのである。
人を見るってことは、一旦相手の全てを受け入れる必要があるのだと思う。良い所も悪い所も含めて全て、だ。
そして、そこには感情は一切必要ない。
どこか冷めた目で見て、そこで受け入れてみようと決心していく。
これはある意味、開き直っていないだろうか。別に良いイミではないが、悪くもない。
正しい"開き直り"という言葉の使い方は、
こういった手段が最も効果覿面ではないだろうか。自分の為というよりかは、人の為に"開き直る"というイメージこそ、いい感じにラクになれるかも知れぬと改めて実感しています。
小さな一歩を踏み出すことが、できましたよ。
僕の理想の仕事は、ゆったりとした時間と自然豊かな場所で、穏やかな人間関係を築きながら、働くことだ。
と、今日改めて強く思います。
22歳だと言うのに、
もうなにか、おじいちゃんみたいな人生プランを築いている。
だからだろうか。
現在勤めている職場でのあだ名は「おじいちゃん」である。そう呼ぶ人間もいるのだ。
どちらかと言うと、老け顔ではあるし、
口数も多くないほうであるし。
そんなあだ名が嫌だったが最近は耳が慣れてきている。
いや
"若者"になることを放棄したって言い方の方が、適切かもしれない。そうは言っても
"若者"なのに。(笑)。
"若者"と"老いぼれ"では待遇が違うのだろうか。見られ方がやっぱり変わってくるのか。
若者はこうあるべきだ!!という固定概念が僕は嫌いだ。
別に若くして隠居のような生活(実際はそうはいかないだろうが。)をしたっていいじゃない。
敢えて地方に行って暮らしてみてもいいじゃない。そう、思うのはこの私だけでしょうか。(笑)。
いつまでに何をやっていたいのか。
確かに重要だが、やる気が無くなってしまうのだ。長期的な目標を立てることが苦手という社会人として致命傷になりすぎてしまう点については今、対策を考え中なのだ。
①代わりに目標をたててもらう目標代行サービスを雇うのはどうだろうか。
これはあまりにも無責任すぎるか。
第一、自分の望むものではない可能性が高い。却下しよう。
では、目標を持たないでいくと割りきるのはどうだろうか。これも、 心が落ち着かないのだ。
連日TVなどで社会が変化していくのを見ていて、自分が何者なのか、見失う錯覚に陥ることが間違いないのだ。
現に若干、その"迷子"状態になっていて、
苦しんでいる傾向がある。
う~ん、なかなか難しい問題である。
そうだ!!
目標という概念を一旦忘れて"イメージ体"にアレンジするのはいかがだろうか。
目標!!と設定するとどうしても肩に力が入ってしまい、頭にばかり血がいってしまい、"心"が地平線の彼方に置いていかれてしまうのだ。
その点、"イメージ体"で将来なっていたい自分を見つけて動かしていくのはどうでしょうか。
少なくとも僕は、あえてぼんやりさせていたほうが逆に動けるタイプなのですが。。。
お酒が強くなりたい人であれば、
"毎日ビールを飲む"じゃなくて、
"たくさんビールを飲んでいる自分はどういう感じなんだろ"とイメージしてみるといいかもです。
物は試しでまず一回、手をつけてみて
試してみる。
これこそ、結果的に行動していることになるし、何よりほんとうにお酒が強くなってみたいのかが、一発・二発・三発ぐらいで分かるかもしれません。
よし、今日も戦国時代に自分がいたら
どうやって生き延びていくんだろうかと、
妄想しながら寝るとしますか。(笑)。
ただ"それをしているだけのありがたさ。"
価値を感じられないものに価値を見いだすことで、自由に生きられると考えたら、どうだろうか。
二日に一回は考えているテーマである。
例えば、ただ、本を読むという行為は無価値なものなのか。
もしかしたら、そのイミもない行為から自分だけの価値観が形成されていくかも知れないし、本を出版したくなったり、記者のようなことをやってみたくなるかもしれない。
何が自分の身に起こるのかは己も含めて一切合切、誰一人として分からぬ問題だと思う。
ぶっちゃけて言うと、
2017年という概念に生きている私たちにとって、もはや、新しいものなんて思いつかないし、生みだすことなんて厳しいのが現実だと思う。
アルバイトしかり、留学しかり、就職、受験など。
今なんてネットを使えば不可能なことなんてないってぐらいになっちゃってるから、
反抗したくなって何もしない・何もしたくない思考回路に染まりきってきてしまったんだとも感じる。
あるSNSを見ると少しだけすごいと思っている方が、"本を読むことをお金に変える"方法について、分かりやすくまとめていてくれた。もちろん僕も、見た。
その記事を見て感じたことは、素直に、
「あっ、なんかいやだな。」というちょっとした不快感であったのだ。
あれだけ、というか自分の好きなことを仕事やお金に換えてそれで生活していけるのであれば、これ以上望むものはないってぐらいに、幸せなんだと思う。
なのになぜか、不快感を覚えてしまった自分に対して、ドロップキックを浴びせたい気分でいっぱいだ。
実はそこまで好きじゃないってことなんか。
だとしたら、オレにはもう、何も好きなことはないぞ!!と、ネガティブモードに入りそうになる。
今までと違うことと言えば、"必要以上に焦っていない"ってことだろうか。
これはヤバい気もしてるし、ヤバくないとも思っている。
自己を啓発する気ももう、そんなに起きてこないのだ。
というか、正直な気持ちはゆっくり山に籠って自然のなかで暮らしたいというセミリタイア系人間に成ってしまっているのだ。
別にそこに対して悲観的になってはいない。
むしろ、楽観的というか、
これからの人生をそのような場所で過ごすには、何から始めていけばいいのかを考える日々がここ数日の僕の活力になっている。
もちろんまだまだまだ、自意識過剰になる部分があるし、人に興味がない瞬間も多々ある。それでも、
自分と社会のつながるであろう箇所は、必要最低限直していかないといけないし、
生きていけないだろう。
ただ、自分にとっての"それだけ"は、こだわって大事に育てていきたいな。
まるで、小学三年生の夏休みの宿題のアサガオ観察のように。
この行為もぶっちゃけて、イミなんてないし、楽しくもない気がする。
このアサガオ観察をすれば、
理科の点数が良くなってお母さんにお小遣いもらえる!!となれば、
子どもたちはそこに価値を見いだせるんだろうなと、無意味なこと・モノに対して、
擁護したくなっているのだ。
よってこれから僕は、どんどんとムダなことやイミがないコトに対して、逃げずにやっていってみようと静かに闘志を燃やしている。
ネクラ人間ほど誤解を招きやすい。
・誤解とは招きたくなくても招くもの。
常日頃から"自分自身"について様々なことを考えているからだろうか。
僕自身が社会に、人に、モノに与える影響を考えている。
答えは出ていない。
他人の顔は自分の鏡だと聞いてだろうか。
今、"自分と話しているこの人はどういうことを思って話しているのか"ということをめちゃくちゃ気にするようになってきた。
自意識過剰なのかも知れないし、相手の反応が必要以上に気になりそれ相応の対応をしている可能性もある。
僕のようなネクラ人間ほど、このような"他人を優先した言動"がクセとなり、自分との境が無くなってきていることも考えられるのだ。
・まず、世のネクラ人間はこの事実に気づこう。この事実とは、ネクラ人間ほど自分より他人を大事にしがちという逆らえない行動のことだ。
リアルタイムな話で申し訳ないが、
今日リゾートバイトに申し込みをしてきた。
働きながら、旅行に来たような気分になれるとして人気のバイトらしい。
主に大学生が中心となって働いているらしいが、フリーターも多いとのこと。
だからと言って僕が
観光目的やお友だちをつくりたいとか、
ワイワイ楽しく働きたいという意思はないのだ。
どちらかと言うと、ネクラ特有の一人で過ごしたい欲の強さの方が上である。
もちろん職場の人とは最低限のコミュニケーションはとるつもりだし、最低限の観光はするだろう。
しかし、だ。
僕は海外の素晴らしい自然と図書館を巡らなければダメだという思いが強く、
20代前半のうちに成し遂げたい願望が根底にある。
この想いはむしろ、仕事をしてみたいという世間一般の流れからは外れているのかも知れない。
何を甘えたことを言っているんだ。
一生そうやってプー太郎みたいな生活をして生きていくつもりか。
大学を出て何のつもりなんだ。
ただまだ遊んでいたいだけじゃんか。
などの反論が聞こえてきそうな気配がプンプンする。
だからなんなのだ。
確かにお金をたくさんドブに捨ててきたかもしれないし、社会から逃げてるだけだと揶揄されてもしかたない。
しかし、
だからこそ、あと一回ぐらいは悪あがきをしたいのだ。
"「若い内に海外旅行は行っときなよ。」"
この言葉通りに現実を動かしてみるとするとしますか。
でも鵜呑みにしたくはないんだよなー。
ここで改めて感じたこと。
「何でもっと早く学生時代に旅行に行かなかったんだろ。」と、あえて言うなら、
以前より本を読むようになった。